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Jijiart(ジジアート)

宮崎で活動を展開する音楽家
主に作詞・作曲・ 編曲・リミックス・トラック制作・映画音楽制作等を行う 。

経歴

  • 宮崎女子高等学校 音楽科卒業
  • 宮崎女子短期大学 音楽科 音楽療法コース卒業
  • 宮崎女子短期大学 音楽療法専攻科 卒業
  • Long Beach City College 卒業

生い立ち

4歳~中学3年

4歳からピアノを習い始める。

当時からピアノの練習が嫌いで長年嫌々続ける。

中学校に入り吹奏楽部に入る。担当楽器はクラリネット。

高校受験での詰め込み教育に嫌気がさし、宮崎女子高校の音楽科に進むことを決意。

嫌々習っていたピアノと吹奏楽部で担当していたクラリネットで受験し合格。

女子高音楽科クラリネット専攻として入学。

音楽学生時代

女子高音楽科時代

高校1年から音大受験のための猛特訓が始まる。

しかし、クラリネットの講師と折り合いが悪く専攻楽器をサックスに変更。

前代未聞の楽器の変更を行う。

音大受験に精を出し朝練夕練、東京までレッスンに通う。

しかし高校3年の頃に交通事故で首を痛め、受験を断念。(サックスは首にかけて吹く楽器であるため)

女子高の姉妹校である宮崎女子短期大学へと進む。

短大音楽科時代

女子短期大学音楽科に進学。

事故で首を痛めていたため、楽器専攻ではなく「音楽療法」専攻で入学。

正直行きたくて行った学校ではなかったため、授業にあまり出席せずバイトばかりしていた。

途中から、なぜ学校に行っているのかわからずに学校を休学しアルバイトに精を出す。

しかし、今後のことを考慮し、後に復学。1年遅れで短大を卒業する。

卒業後も音楽療法について更に専門的に学べる音楽療法専攻科があったので1年追加で短大に在籍し、高齢者施設や幼児施設、精神病棟などで実習。

在学中はホームヘルパーと音楽療法士2種免許を取得。

合唱部に所属し、大会出場のため毎年全国を飛び回る。

バンドとの出会い

短大在学中に色々な方のご縁でライブハウスに出入りするようになった。

今まで自分が置いていたクラシックの環境とは全く違う異様な世界観を目の当たりにし、衝撃を受けた。

当時波に乗っていたバンドに刺激を受け、自分もやれる!と謎の自信から音楽活動を始める。

音楽活動開始

バンド活動~ソロ活動

音楽活動を開始するが、最初は何をしていいかわからず兄のバンドに入った。

それからいろんな方とユニットを組む。

最終的にはソロ活動を行うようになる。

ソロ活動で一番辛かったのは、作曲方法がなにひとつわからないということだった。

とりあえず、ダサくてもやる。

なにかをやる。それだけの気持ちでインスト曲から作曲を始めた。

初めて作った曲がこのインスト曲。

とりあえず音をつなげる、音をつくる、といった意識だけで制作。

できあがったこの曲が自分にとっての原点となる。

当時は病気でなかなか外に出れない生活だったため、音楽制作が自分の中では生き甲斐になる。

ピアノロイド時代

Angelとのユニット「ピアノロイド」という名前で活動。

バークリー音楽大学を卒業した彼女の才能や楽曲に度肝を抜かれる。

「本当に才能がある人物」を生まれて初めて目の当たりにする。

彼女の楽曲があったためこの時期は歌うことに集中できた。

本当に貴重な体験が出来たのでAngelには感謝しかない。

ソロ活動再開

ピアノロイド解散後、またソロ活動に戻る。

再開したソロ活動では活動場所をライブハウスからクラブへと移行。

新しく自主制作映画の音楽やバンドの登場曲(SE)などを制作。

未経験だった分野に大いに挑戦することが出来て、この時期は本当に音楽活動が楽しくてたまらなかった。

活動低迷期

「30まで全力で音楽活動をする」という目標を達成。

しかし、その後の目標が全く見えず人生をロスト。

目標がなくなったことで音楽をやり続けることのが見出せなくなる。

この時期は今まで遊んでいた人たちが次々に結婚などで疎遠になり、孤独感が増していった。

「音楽なんてやったって何にもならない。」と今までやってきた自分を全否定する時期が来る。

この時期は本当に辛かった。

自分には何もない、なぜ存在しているんだろう、そういう気持ちでずっと辛い時期を過ごした。

単身渡米

「自分にはなにもないのだから、なにもないからこそ出来ることがやりたい」とふと頭を過った。

今の私にできることは何だろう?ずっとずっと考えて思いついたことがずっと諦めていた「海外で暮らす」ことだった。

何もない今の自分だからこそ、できるのではないか?そう思ったら目の前がスーッと明るくなった。

「まだこんな自分でも、こんな自分だからこそ出来ることはある」そう決意して単身渡米を決行。

カリフォルニアでの生活

カリフォルニアでの生活は毎日が刺激的だった。

言語が違う、文化が違う、人種が多様、日本とは正反対の世界だと思った。

とにかく現地に馴染むのに必死だった。

学生ビザでの滞在だったので学校に通うことが義務付けられていた。

語学学校に入り3か月で試験を受けてコミュニティカレッジに入学。

そこから大学生活がスタート。

学生は毎セメスターで最低12単位(3~4クラス)は必ず受講しないとアメリカに滞在できないという厳しいルールがあったため、遊ぶ暇はほとんどなく学業に追われた。

友人たちと気兼ねなく遊べるのは夏や冬などの長いバケーションの間だけ。

それでも休みの日は他国の友人たちと会話したり文化をシェアしたりすることがとても楽しかった。

何よりカリフォルニアでの生活は誰かと助け合うことの大切さや、本当のやさしさは何かを教えてくれた。

新型コロナウィルス感染拡大

新型コロナウィルスがアメリカ全土に広がり、学校やお店が次々にクローズされていった。

当時は毎日何万人と新規感染者がいてほとんど外に出られなかった。

週に1回買い出しでスーパーにいく時だけ外出していた。

異常な生活スタイルでたくさんの人が精神的に追い詰められたと思う。

学校がクローズしオンライン授業に切り替わる。

帰国する留学生たちがだんだん増えていった。

色々なことを考慮し、帰国を決意。

帰国

おおよそ3年半のアメリカ生活を経て帰国。

帰国して14日間は大阪で隔離生活を送る。

日本でも新型コロナの感染が拡大していたので海外からの帰国者である人に心無い心をかける人さえ出てくる。

それでも母国にいる安心感と日本の便利さで心が癒された。

宮崎に戻る

隔離期間を経て宮崎に戻ってきた。

引き続きオンラインでの授業があったため、学業と仕事に追われて時間と心に余裕が全くなかった。

しかし、オンライン授業を受けていたためか英語の能力が落ちることなく現地にいるときと同じスピードで作業を進められたし、考え方や日々のルーティンもそのまま活かすことが出来た。

音楽活動再開 – 現在

2021年、カレッジを卒業。

卒業のタイミングで音楽活動を再開。

何か大きな志があるわけではないけれど「今の自分だからできることをする」というシンプルな理由をこれからの音楽活動に繋げていきたい。

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