30代で単身渡米した私のアメリカ留学体験記 ~ カレッジを卒業するまでの話

気が付けば3月。日本では卒業シーズンですね。

私も昨年末でようやくアメリカのカレッジを卒業しました。

いやー、本当に長かった地獄のカレッジ生活。

今回は私が30代で突如単身渡米後、滞在先のアメリカで経験したカレッジでの生活や卒業するまでについてを書いていきたいと思います。

目次

カレッジってどんなところ?

そもそも、カレッジってどんなところなの?と疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。

アメリカの場合は一般的に、

  • College (コミュニティ・カレッジ)
  • University(ユニバーシティ)

という2つの大学の種類があります。

College(カレッジ)
複数の学部・研究科は存在せず、大学院課程を設けていない、小さな大学

University(ユニバーシティ)
複数の学部・研究科から成り、大学院課程を設ける、大きな大学
引用:いまさら聞けない? 意外と知らない? CollegeとUniversityの違い

という認識で大丈夫です。

ちなみに有名なハーバード大学、スタンフォード大学といった有名な大学は「ユニバーシティ」です。日本でいう東大とか京大も「ユニバーシティ」です。

私が行った学校はカリフォルニア州、ロングビーチ市にある「ロングビーチ・シティ・カレッジ」というコミュニティ・カレッジです。

公立の大学であるため学費が非常に安く、入学の間口が非常に広いところが特徴です。

大体私の住んでいたエリアでは、ほぼほぼのカレッジが現地の高校を卒業した学生は入学したら2年間学費がタダというびっくりするシステムでした。

「どんなに貧しい環境の子供達であっても、望めば学びの環境を与える」

さすが学歴社会アメリカ。

教育に対する意識の高さを目の当たりにしました。

学費の無料期間が「2年」ということもあり、多くの学生はクラスを詰め込み大体2年の間で卒業するか、2年でカレッジの過程を終了させてユニバーシティの3年にトランスファー(転入)するというコースが非常に多いです。

この傾向から「カレッジ=2年制大学」という認識になっている方も多いと思いますが、卒業するペースは本当にひとりひとり違います。

入学の間口は広くとも、卒業というゴールまでたどり着くのは非常に難しいというのがやはりアメリカの大学の特徴でもあります。

ちなみに、入学してすぐにドロップアウト(退学)する学生も非常に多いです。

当然のことながら、私は留学生であったため2年間無料ということはありませんでした。

※ちなみに留学生の学費は、現地学生の学費の3倍です。(涙)

カレッジに入るまで

カレッジやユニバーシティの入学条件はそれぞれ違います。

私の行ったカレッジの場合の入学条件は

  • 事前に試験を受けて合格する(TOEFLの必須スコアを取る)
  • 語学学校などに行って学力を上げてから試験に合格する

2パターンありました。

私の場合は最初からカレッジに行く気があったのではなく、とりあえず学生ビザ滞在するということで所属できる学校ならどこでもいいという感じで、そのカレッジが持っている留学生の語学プログラムに入りました。

そのため事前に語学力を補強せず、現地に行けばなんとかなると思って呑気に考えていたため、後々で地獄の地獄を見るはめになりました。

準備はやっぱり大事です。

カレッジの語学プログラム

入学した語学プログラムではグラマー(文法)とエッセイ(文章)の書き方、スピーキング(会話)を徹底的に浴びせられます。

高校を卒業してすぐに入学した学生とは違って、学生時代に習った英語はほとんど忘れており、本当に苦労しました。

いきなり英字のオンパレードです。

目も耳も疲れ果てるので、授業が終わって家に帰った途端に寝てしまう程しんどい毎日でした。

そして課題が死ぬほど多い…

日本でも見たことないくらい課題が与えられます。

高校受験前でもこんな量の課題なかったYO!ってくらい出されます。涙

文法はなんとなく思い出してはくるけども、エッセイなんて書いたことも構成の型なんて見たこともなく…

極めつけに英会話力に関しては、日本にいる優しい外国人たちとしか話したことがなかったので、ネイティブの会話のあまりの速さに絶望感すら感じました。

カレッジへのアセスメントテスト

そして、やっと勉強にも慣れてきたころにアセスメントテストという試験を受けるように言われます。

ここの語学プログラムは1セッション8週間のプログラムで、終了間近にアセスメントテストを受けるという流れになっているようでした。

教科は「数学」と「英語」

何が何だかわからずに受けた結果

「不合格」

「試験に落ちたら語学プログラムをもう一度受講してね」と言われましたが、最初からそのつもりだったので何も困らずもう一度8週間のプログラムを受講。

後から知ったのですが、この「アセスメントテスト」なるものがカレッジに入るために必要な入学試験のようでした。

なので合格した子たちはめでたくそのままカレッジに入学、または他のカレッジに入る、もしくは他の語学学校に行く、といった選択肢を選ぶことができます。

その試験に受かると強制的にその語学プログラムに在籍することはできないので、どちらにせよ新しい学校に行かねばならないという仕組みでした。

私の場合は新しい学校に行くつもりは最初からなく、行って8週間でまた新しいクラスに放り込まれるのは非常に困るので心底「落ちてよかった~!」と思っていました。

ただ、8週間ごとにそのアセスメントテストがあるので、プログラム終了時にはまたその試験を受けました。

結は、、、

「合格」

何も勉強せずにいたので正直「なんで?」って感じでした。

厳密に言うと、語学プログラムに長々居座る留学生が多いので2回目の試験でパスさせて無理やりカレッジに押し込む、というカレッジ側の計らいになっているようでした。

なかなか考えられています。汗

「アメリカの大学は入るのは簡単」

というのは本当だったのか!ということを実感。その後にやはり

「アメリカの大学は出るのが難しい」

ということを直に体感する地獄の学業生活が始まりました。

カレッジ入学前準備

まず、入学するときに何をメジャー(専攻)にするのかをカウンセラーに迫られます。

私の場合は試験受かって4日後には決めといて、と言われて良く考えずに「音楽」にしていました。

後々になって、興味があった「Web Development」というメジャーに変更。

このメジャーではプログラミングをはじめ、ホームページ制作についてを学びました。

カレッジ生活

さて、めでたくカレッジに入学はできましたが、ここでまたしても留学生特有の絶対事項を知りました。

「留学生は毎セメスターで最低12単位を取らなければならない」

つまり、毎学期で12単位(”最低” 3~4クラス)取らないといけないという単位ノルマです。

過去の留学生たちが留学中学校にも行かずに、遊びまわっていたことや、911の後で外国人に対する法律も厳しくなったということなどなど原因ではないかと思います。

ちなみにこのノルマは、現地にいるネイティブやグリーンカード(永住権)所持者には適用されないので、自分の生活や学習スピードに合わせてマイペースに授業を取る事が出来ます。

しかし留学生は、ひとつでも単位を落とすとビザの保持に関わる(アメリカの滞在資格をはく奪される)ためマイペースに授業をとることは出来ませんでした。

更に、アメリカの学校ではえげつないほどの大量の課題が出るため、週末もひたすら課題に追われる毎日を送っていました。

今までこんなに勉強したことない…と現地の留学生ほぼ全員言ってました。まさにヘル。

本当はひとつひとつじっくりと学習したかったのに、学びたいことに集中することができない学習環境がめちゃくちゃストレスで、もっとじっくりやりたかったな~と今でも思っています。

カレッジ1年目

カレッジ1年目。

入学後も留学生向けの英語のクラス(ESL)をとるのが必須となっていたので1年目は英語のクラスをメインでとっていました。

それもそのはず。

こっちでいう「国語」にあたるのが英語なので必須教科です。

最終的には「English 1」という名のクラスを取らないといけないので、そのクラスを取るためにその下のクラスから取らないといけないという流れになっていました。

ちなみに、「English 1」はネイティブの子達にとっても卒業するための必須履修科目に含まれるので、「English 1」 はネイティブの生徒たちと一緒のクラスに入ることになります。

英語のクラス(ESL)では

  • リーディング
  • ライティング

のクラスに分かれており、ライティングは一般教科のクラスで必要となるため必須のクラスでした。

リーディングのクラスはとってもとらなくてもいい感じです。

クラスはアセスメントテストのレベルによってクラスが割り振られるので、基本的に自分ではどのクラスを取るか選択できません。

毎学期始まる前にカウンセラーから「あなたはこのクラスとってね~」と言われるのでそのクラスへの履修手続きをします。

たまに「飛び級したい」と言い出す学生もいて、そういう人たちはカウンセラーや教授に直談判して上のクラスに行ったりとかしてました。

そんなこんなで、1年目は大体英語のクラスを取って終わりです。

カレッジ2年目

2年目はだいぶカレッジ生活にも慣れて、英語のクラスと一般のクラスと半分ずつくらいで取れるようになっていました。

一般科目では体育なども含まれるので、エクササイズクラスをとってました。

2年目はちょいちょいネイティブの生徒と絡んだりもできて割と楽しかった。

カレッジ3年目

3年目はようやく英語のクラスが終わり、一般教科とメジャーのクラスをとれだした時期です。

専攻のプログラムの授業などを受けていました。

最初にC言語をベースにクラスを取りました。

後にこのJavaのクラスをとりましたが、プログラミング用語自体を英語で学ぶということにものすごく苦戦しました。

メジャーで必須科目になる数学の授業も最初は簡単でしたが、後半はなかなかきつかったです。

この頃には現地での生活や勉強方法などに慣れてきていたので、受けたすべてのクラスでオールAをとれるようになっていました。

アメリカの成績は

  • A(優)
  • B(良)
  • C(可)
  • D(D以下は不可)

といった感じのグレードで成績を付けられます。

基本的にはC(可)を取ればクラスをパスしたことになるので、最低Cを取れるよう最初はがんばっていました。

それから、授業や勉強のコツがわかってくるのでCだった成績がBになり、最終的にはAもとれるようになっていました。

やっぱり何事も慣れって大事だなと思います。

在学中に、オールAをとった優秀な学生に贈られる表彰状「Dean’s List」を何度かいただけたので、辛くても勉強頑張ってよかったと思うことができました。

この3年目で一般過程の授業はすべて終了し、4年目はいよいよずっと勉強したかったウェブについての授業を受けれるのでウキウキしていた時期でした。

ちなみに一般過程で一番面白かった授業は「哲学」の授業でした。

物事のありかた、捉え方を深く学べる機会は今までなかったので本当に楽しかったです。

人はどんなことを考えてどんなことを信じるのか。

良き事とはどんなことなのか?

どのテーマも面白い内容ばかりだったので、また後日哲学について学んだことも書いてみたいと思います。

これはプレゼンテーションのために制作した「陰謀論について」のスライドです。

哲学のクラスの教授がこのスライドをすごく気に入ってサンプル資料にしたいという申し出があったのでこのスライドは教授のクラスのサンプルスライドとして活用されています。

こうして、「いいものはいい!」と褒めちぎってくれるアメリカの教育、長所を伸ばす文化に感動したのを覚えています。

そして、どんなに辛くても、頑張ってよかった!と思えるサプライズを用意してくれているアメリカのカレッジ!

日本にはない良いところがたくさんあって本当に面白い学校のシステムだと思いました。

カレッジ4年目

2020年には世界的にコロナウィルスの感染が拡大し、あらゆる場所が閉鎖されました。

学校が次々に閉鎖されていき、オンライン授業に切り替わりました。

当時は感染者数が増えすぎて、家から出るのは食材を調達するときの1週間に1度だけでした。

そんな中で、母国からでもオンラインで授業が取れるようになっていたので留学生はほとんど帰国していました。

私もこの時期は残るか戻るか悩みに悩んで、2020年の夏に日本に帰国しました。

授業をとりながら帰国の準備、引っ越し作業などしていたのでものすごくバタバタしていました。

そして帰国後は生活環境も変わり、新しく仕事をしながら授業をとっていたので学習環境は最悪。

帰ってきて最初のセメスターに受けたのクラスの単位をほとんど落としました。

仕事と学業との両立があまりにも辛すぎて、正直ここで勉強をやめようと思ってました。

現地で必須単位を取るだけでも大変だったのに、フルタイムでの仕事、、、そして時差もある。

過酷すぎて絶対無理だと思いました。

しかし、「卒業まであと1年くらい」という具体的なゴールが見えていたため、引き続き継続してクラスを取り直しました。

2021年の冬、ついに、

紆余曲折ありながらも、ようやくすべてのクラスをパスし卒業することができました、、、

長かった、、、

ほんとに長かった、、、

ただただ感無量。

本当に卒業できてよかった。

あきらめずに頑張ってよかった。

血と汗と涙と時間の結晶である卒業証書とともに、この地獄を乗り越えられたのだからこの先はちょっとやそっとのことじゃくじけないであろうという自信を手に入れられたことが自分にとって大きな財産となりました。

そうして私のカレッジ生活は無事終了。

この留学で得たものは今でも私の根幹にあり、あらゆることで指標になってくれます。

留学は私にとって人生を変えたといっても過言ではないほど本当に貴重な経験でした。

まとめ

今日の記事では私が渡米してアメリカのカレッジを卒業するまで流れについて書いてみましたが、いかがだったでしょうか?

こんなに学業に専念、というか追い込まれたのは後にも先にも卒業までの約4年間だけだったと思います。

しかし、あきらめずに卒業できたことで今までにないほど自分に自信がつきました。

この地獄のような体験が今の私を形成してくれているので、とても良い人生経験になったと思います。

今後もいろいろなことがあると思いますが、このしんどかった「地獄の4年間」を思い出していろいろなことにめげずにチャレンジしていけたらと思います。

この記事が、これから留学をお考えの方にとってのヒントになれれば幸いです。

長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

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この記事を書いた人

Jijiartのアバター Jijiart Jijiart Works 代表

フリーランスで、電子音楽作曲家・Web編集ライター・Webデザイナー・オンラインアシスタント様々なお仕事をしています。アート・写真・読書好き。https://jijiart.net

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